「ジャンゴ」「グランド・エンカウンター」その他数多くの名作を世に送ったMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のピアニスト、ジョン・ルイスは晩年、ライフワークとしてバッハの作品を発表していますが、その第一弾がこのアルバム、鍵盤楽器の作品史上重要な地位に位置するバッハの「平均律クラヴィア曲集」です。
「クラシックのジャズ化!」このCDの紹介としては極めて貧しい不適切な表現です。
バッハの時代には、演奏のほとんどが即興に満ちていました。作曲は即興を前提になされ、したがって楽譜は単なる見取り図にすぎず、演奏のつど自由な装飾を加えて演ずることは、器楽においても声楽においても演奏者の常識でありました。コード進行をもとに即興が繰りひろげられる現代のジャズ演奏と、まるで一緒ではありませんか。
大作曲家バッハは、即興演奏の達人でもありました、即興演奏を旨とするジャズのピアニストのジョン・ルイスが、即興の大家バッハを演奏してみたいと願うことに、違和はあろうはずがありません。
ただ、バッハの楽譜は同時代の他の作曲家の見取り図的な楽譜と違って、細かく綿密な記載がほどこされていました。それは即興の精神を捨てるということではなかったはずなのですが、後世の演奏家はバッハ音楽を楽譜が綿密だったがゆえに、その楽譜を忠実に再現することにのみ精力を傾けて、いつしかその即興性を忘れ、バッハの音楽のもつ生命力が奪われていってしまいました。昨今ブームの古楽演奏はその反省から出発していますが、その旗頭のひとり古楽合奏団エインシャント・ミュージック率いるクリストファー・ホグウッドは、自著「ヘンデル」の中で、バッハの時代の音楽について「人々は皆、バロック音楽をあまりにロマン派的に解釈した最悪の演奏に慣れ親しんでいる」と書いています。つまり、私たちの多くは「最悪の解釈のバッハ像をもってバッハとみなしている」ことを認識しなければなりません、多くの人が、映画「アマデウス」を見て、モーツアルトの(奔放なキャラクターという点において)イメージが大きくかわったように、堅苦しいと思われているバッハについても(奔放な音楽表現の可能性という点において)大きなイメージの変換が必要でしょう
バッハの作品は「平均律」もそうであるように、厳格な論理性を持って作られた作品が数多く、演奏がその論理性に埋没することなく、約束事をふまえた上でその縛りから解き放たれときにはじめて、その論理性ゆえにもたらされる深い喜び、ゆるぎない生命力に浸ることができるのです。
かつてシューマンはバッハの音楽を「万人が汲み取るべき源泉」とし、バッハの「平均律」のフーガを毎日演奏すれば、きっと立派な音楽家になれる」と述べています。シューマンも含めてモーツアルト以降多くの音楽家が、バッハに学び、バッハから糧を得て自らの芸術度を深めていったようにジョン・ルイスも例外ではありません。幼いときからプレリュードとフーガを耳にし、ピアノをマスターした以降「平均律」を愛奏していたというジョン・ルイスの、深く敬愛するバッハの作品をして彼自身の身体の奥深くから湧き出るスピリチャルな音楽を表現せしめたのがこのCDです。そんな作品に対して「クラシックのジャズ化」「バッハのジャズ化」というありきたりの説明が、いかに陳腐なものであることが理解できましょう。
ジョン・ルイスはこの作品の後も「プレリュードとフーガ第2集」、夫人との合作による「ゴールドベルグ変奏曲」を発表しております。これらのいずれもが、万人が汲み取るべき源泉がジョンルイスを通じて脈々とわきでていることが実感できる秀作です。