■ 今月のちょっといい本
すべての道はローマに通ず ローマ人の物語 X
著者:塩野七生
発行:新潮社
定価:\3000E
ISBN-10-309619-5 C0322

ヘーゲルは自由意識の進歩の段階を、東洋専制国家(一人だけが自由)、古代ギリシア・ローマの奴隷制に基づく民主制(少数者だけが自由)、近代国家、ゲルマン世界の君主制(すべての人が自由)と分類しました。歴史家はおよそ、歴史は堕落していくものとして古代文明を擁護・礼賛する人々と、歴史は進歩するものとして近代文明を擁護する人々に分かれます。塩野七生氏がはたして、歴史家か著述家かは問題にしないにしても、『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶというが、学ぶのは歴史と経験の両方でないと、真に学ぶことにならないのではないかと思っている。』とする著者の立場は、古代ローマ人に深い敬意と憧憬を表しつつも、あくまでも現代の視点から客観性をもって実証的に評価しようとする姿勢に好感を覚えます。

紀元前3世紀から後2世紀までの5百年間に、ローマ人は敷石で覆った主要幹線で8万キロ、砂利道も含めれば15万キロに達する輻輳するローマ街道網を建設したそうです。街道網や水道橋、各種橋梁、公共施設、医療システム、教育システム、法制度、軍政、治安維持など、ローマ人が築き上げたインフラストラクチャーの数々を見るにつけ、彼らの優れた現実性と合理性に感嘆します。ロマンティックromanticもロマンスromanceも、「ローマ風」という意味から出ているそうですが、日本語の「浪漫的」なイメージとはかなり異なった感じを受けます。

『ローマ人に言わせれば、インフラとは人間らしい生活を送るために必要なこと、なのである。それを公が負担するのは、税金をとっている以上は当然至極のことと、考えていたに違いない。』これだけの建設事業をして、なぜ国家財政は破綻しなかったか?それは建設国債や安易な赤字国債などを発行せず、『借金をしないで、予算内で可能な事業だけをやること。だからこそ、何を、どこまで国が担当し、それ以外は地方自治体に、また私人の公共心に期待できるかを、明確にすることだ、というに違いない。』今、国民一人当たり611万5000円、国家全体で、表面に表れているだけで長期債務残高764兆円の負債(2002年3月現在)(国民総生産GDP520兆円。77特殊法人の2001年の赤字が385兆円であり、ちなみに開発途上国の負債額の総額は213兆円。日本がいかに巨大な負債を抱えているか、驚嘆します。2000年度の国の予算が77兆円、社会保障費にはこのうち20%である16兆7600億円が使われていますが、国債償還と利子払いに26.1%、21兆9654億円費やされています。)を抱える日本人が、どこで間違っていたか?その理由は明確だと思われます。国家財政の余力を超えた支出を、子孫が担う赤字国債、建設国債として、無責任に先送りしてきたつけが、今露呈しているにすぎません。ちょうど悪玉コレステロールが溜っているのに暴飲暴食を続け、循環系や全身の臓器が疲弊し、体の予備力がなくなり、身動きもままならなくなった老人国家が、現在の日本の姿と言えるでしょう。限られた予算を、時代遅れの大企業の延命や不必要なダムや大規模林道などの無駄な公共事業に費やし、力と権力を握る者は、"ノーブレス・オブリージュ"(地位あるものの義務)を忘れて、既得権益の確保と利権漁りに血道をあげ、国民が本当の意味で、人間らしい生活を送るための投資を軽視してきた無思想性が、すべての元凶にあると思います。 ユリウス・カエサルは医療と教育にたずさわる者ならば誰にでもローマ市民権を与えると定めたユリウス・カエサル法を発布し、ローマ世界の医療と教育の向上を図りました。カエサル時代のローマ経済力は上昇の一途にありましたが、公的医療制度は存在せず、医療は完全に市場経済に任されていました。国家財政が破産状態になった4世紀になって、初めて国家が率先して医療を担当する医療制度が、キリスト教の布教とともに採用されました。『それまで、庶民は熱や頭痛があると、それを担当する神々の神殿にかけつけていた。これでは他の神を認めないからこそ一神教である、キリスト教にとっては困ることになる。それで、医療費はタダにすることで、人々の足を、神殿から公立病院へ向けようとした。』興味深い記述です。『街道や橋梁、港湾、神殿、上下水道などのハードなインフラの他にソフトなインフラ、つまり安全保障、治安、税制、通貨制度、郵便制度、貧者救済のシステム、育英資金制度、そして、医療と教育。ローマ時代では、これらのすべてを備えていないと都市とは認められなかった。』現在の日本では、医療、教育制度はその将来が危ぶまれ、財政は破綻し、治安は悪化傾向を示しています。また安全保障も、ただアメリカという帝国の属州としての立場に安んじているだけで、自らの哲学を持っているわけではありません。日本の将来に不安を覚えない人がいるでしょうか?