■ 今月のちょっといい本
人間回復の経済学
著者:神野直彦
発行:岩波新書782
定価:\700
ISBN4-00-430782-1 CO233

過日、ある方に宇沢弘文氏の「社会的共通資本」をお薦めしましたところ、早速書店に出向かれて購われた上に、隣に平積みされていた本書も手に取り、逆に推薦していただきました。構造改革路線が充分に成果を上げたとはとても評価できないこの時期に、従来の単純な経営至上主義を批判する新書がいくつも出版されて、どれもがそこそこに売れている点を考えれば、長すぎる不況を単に労務コストの削減と不採算部門のリストラにより、乗り切ろうとする経営者マインドの不実さに、いい加減世間の一般大衆が気づき始めた証とも言えるのではないでしょうか?私たちが働く本当の目的は、会社の帳簿を華やかにするためではなく、その結果として、より多くの市民が健康で生き甲斐を感じる生活を送ることにあります。人間を単に利害得失だけで、行動する機械的存在として捉えるか、それとも他人への共感を持てる、喜びや悲しみを感じる情緒的存在として捉えるかにより、方法論はかなり変わってきます。コストだけで医療を論じようとすると、本来的に医療が立脚しなければならない倫理的な基盤が崩れてしまう恐れがあります。衆院厚生労働委員会(森英介委員長)において、14日午前、サラリーマンの医療費自己負担割合を2003年4月から3割に引き上げることを柱とした医療制度改革関連法案と、生活習慣病予防の努力目標策定などを盛り込んだ健康増進法案が、自民、公明、保守の与党3党だけで採決され、可決されました。現役世代と高齢者の医療費の自己負担を増やし、中小企業のサラリーマンの健康保険料を引き上げる同法案の成立はもう防ぐことができないでしょう。国民の生活に深刻な影響を与え、社会の在り方の選択にかかわるこのような重要法案を、議員疑惑などの政策審議とは無関係な問題に時間を空費し、ただ財政的な視点からのみの主張から推進し、本質的な論議を行うこともなく、また国民に対して充分なインフォームド・コンセントを行わずに、決定してしまっていいのでしょうか?国民とマスメディアがワールドカップに釘付けになっている間に、駆け込み的に法案を通してしまうわけですが、与野党とも、重要な問題ほど建設的な議論を行わずに決めてしまう傾向があるのではないでしょうか。

「人間を経済人として把握するのではなく、ホモ・サピエンスつまり知恵のある人としてアプローチする。P10」

効果が上がらないだけでなく、悪い結果だけを残した政策が選択されたとき、その政策が誤りであったことを虚心に反省し、次の政策立案に生かすことが、「考える政治」と言えます。逆に掲げられた言葉と理念に酔い、実行された政策が国民を幸せにしたかどうか検証することもなく、ただ政策の継続性だけを重視しているのが今の日本の姿と言えます。「1980年代から日本は『構造改革』の時代に突入する。つまり、20世紀から21世紀への世紀転換期に、規制緩和、民営化、行政改革を合言葉にした構造改革に勇壮邁進してきたのである。‥‥しかし、矢継ぎばやに打ち出される構造改革は、いつも状況を悪化させてしまう。その結果として、1990年代という20世紀最後の10年を、『失われた10年』という悲劇の舞台にしてしまったのである。‥‥構造改革の方向は間違っていなかったが、もっと激烈に構造改革を断行しなかったから、失政になったのだ、という失政糊塗の論理が展開されていく‥‥P24、25」考えてみればこの20年間ずっと構造改革を行ってきたのですね。20年間かかって何の成果も上耀郤?老戀?_?c????y?????????げない「小さな政府」という幻想を、いまだに追いかけているわけですが、そろそろ方法論の見直しを行い、国民を幸福にするためには何をおこなうべきかという本質的な論点に立ち戻る必要があります。












社会的共通資本
著者:宇沢弘文
発行:岩波新書696
定価:\660E
ISBN4-00-430696-5 CO233

理想の社会とは何か?人間の幸福とは何か?もしその答えを知り、字義だけで理解しようとしても肉体と情動がついていかないのが人間の悲しい性です。飢えた獣のように本能だけで振舞う時もあれば、冷徹で合理的な思考と判断を熟成させ、この世の真理に肉薄していく時もあれば、また慈愛に満ちた眼差しで他者に対する無償の奉仕に身をささげる時もあります。自らの意思に忠実に生きているつもりでも、実は脳にできた小さな腫瘍に左右されていたり、甲状腺のちょっとした不調が影響を与えていたり、毎日食べる加工食品の中に含まれている未認可の添加物のせいだったりと純粋な自分の姿さえ定かではありません。疲れていれば怒りっぽくなるし、日々過大なストレスに曝されれば、聖母のように振舞えなくても無理のないところです。そのような不確定で不安定な人間の集合である社会を論じる時、マスとしての集団的な挙動を客観性のある指標のもとに重視するか、個々の分子である一人一人の人間の共通した行動モデルを考え、それを全体に敷衍するかで、アプローチの仕方は大きく二つに分かれます。昔、「白猫であ耀郤?老戀?_?c????y?????????ろうと黒猫であろうと、ネズミを捕る猫はよい猫だ」と言って、徹底した実利主義で「強大な中国」の夢を実現すべく、外資の利用、株式制度など資本主義的経済運営の導入をケ小平氏が断行し、必要とされるものは社会主義でも資本主義でもなく、あくまで結果を得られるシステムならば、その素性を問わない姿勢を印象づけましたが、ムーディーズに円建て債務格付けを二段階格下げされ、日本が円借款や無償資金援助を行っている相手であるボツワナ以下に評価された日本を救う実効性のある手立てはあるのでしょうか?(ボツワナはダイヤモンド鉱山で潤い、経済成長率は韓国、中国を凌駕します。)

本書は、冒頭で「ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration:熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化水準の高い一生をおくることができるような社会である。(2P)」としていますが、ここで期待されている人間像は、かなり理想化されたものです。この社会を実現するには、まずすべての人間がある程度の資質と能力を持ち、また将来に対する強い願望を持っていなければなりません。また自分の社会的貢献への自己評価と客観的な判定者が見た評価が乖離していないことが必要です。生き延びるために誰かが人の嫌がる仕事につくことを要求される社会では、それを肩代わりする何らかのシステムが必要になります。つまりもともと部分的には実現できるが、社会の構成員すべてについて実現することは不可能な目標と言えます。本書の説く社会的共通資本とは、このような理想的な社会を実現するために必要な社会的装置を指しています。

  1. 自然環境(土地、大気、土壌、水、森林、海、河川、動植物など)
  2. 社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力、ガスなどの社会資本)
  3. 制度資本(教育、医療、金融、司法、行政などの諸制度)
そして「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。(5P)」と主張します。我国の医療制度は徹底して官僚的に管理され、医療の市場経済化が強要され、医療の専門家ではない、医療経済の専門家や非専門家が不信とそれぞれの思惑にしたがって医療行為を管理しようとし、医療の本質の衰弱と変質を招こうとしています。教育と医療は「‥‥市民が、人間的尊厳を保ち、市民的自由を最大限に享受できるような社会を安定的に維持するために必要不可欠なもので、決して、市場的基準によって支配されてはならないし、また、官僚的基準によって管理されてはならない。(6P)」なのに。

医療についての各論では次のように説明しています。 「国民経済にとって、医療に充当できる資源は限られている‥‥各市民の必要とする保険・医療サービスを必要に応じて無制限に供給することはできない。‥‥資源配分の社会的基準は決して官僚的に管理されるものであってはならないし、また市場的基準によって配分されるものであってはならない。それはあくまでも、医療にかかわる職業的専門家が中心になり、医学にかんする学問的知見にもとづき、医療にかかわる職業的規律・倫理に反するものであってはならない。そのためには、同僚医師相互による批判・点検を行うピアーズ・レビュー(Peers Review)などを通じて、医療専門家の職業的能力・パフォーマンス、人格的な資質などが常にチェックされるような制度的条件が整備されていて、社会的に認められているということが前提となる。‥‥(P169)医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を考える基本的視点である。‥‥(P170)」

また私も重要視していることですが、「医療サービスの供給者である医師を始めとして看護婦などコーメディカル・スタッフの職業的、専門家的倫理をどのようにして内発的な動機と一致させるようにするかという、いわゆるインセンティブ・コンパティビリティ(Incentive Compatibility)の問題もまた、社会的共通資本としての医療を考察するとき、重要なものとなるだろう。(P171)」耀郤?老戀?_?c????y?????????と述べています。医療従事者がプロフェッションとしての良心に従って、エビデンスに基づき誠意をもって治療を行うとき、それにふさわしいインセンティブを与えられる制度を整えることが、国民にとっての医療サービスという社会的共有資本を構築するときの最重要点ではないかと理解しました。

「イギリスのすぐれたサービス制度が事実上崩壊してしまった。そのもっとも重要な原因が、医師、コーメディカル・スタッフの給与体系が恣意的に、しかも極端に低い水準に定められてしまったことにあると指摘されている‥‥実際にかかる医療費用はとても、現行の保険点数表から算出された支払額では賄いきれないからである。(P174)」

「日本の医療制度の矛盾を一言でいってしまえば、それは医療的最適性と経営的最適性の乖離ということではないだろうか。医学的な観点から最適と思われる治療を行ったとき、経営的観点からは望ましくないような結果を生み出す。‥‥現行の医療制度を考察するとき、国民医療費の大きさなどといういわゆる市場経済的尺度は重要な問題ではなく、この医療的基準と経営的基準の乖離ということがもっと核心的な問題であるといってよい。(P175)」

「‥‥社会的共通資本としての医療制度を考える時、その基本的条件は、医師が、医学的見地からもっとも望ましいと判断した診療行為を行ったとき、そのときに必要となる費用が、その医師の所属している医療機関の収入と常に一致しているということである。また、患者の立場からするとき、所得の大きさ、居住している地域、人種的ないしは性的な条件の如何にかかわらず、医学的ないし医療技術的な観点から、そのときどきの最適な診療を受けることができるということが、需要面からの要請である。‥‥保険料率の漸次的低減,給付率の漸次的上昇、とくに老人医療の無料化の方向に進むことが望まれているが、第二臨調以降の行財政改革のあり方は、このような視点からみるとき、まったく逆行的であるといわなければならない。(P176)」

本書は、財務省と日本経団連から押し付けられる医療の市場経済化、マネジドケア推進の要求に対抗し、真に国民の幸福につながる医療とは何か、またそのために譲ってはならない社会制度とは何かという点について、説得力のある論拠となりうると判断します。