■ 今月のちょっといい本
アメリカ医療の光と影
著者:李 啓充(マサチューセッツ総合病院内分泌部門 ハーバード大学医学部助教授)
発行:医学書院
定価:\2,000
ISBN4-260-13870-7 C3047

李 啓充氏の第二段です。副題は『医療過誤防止からマネジドケアまで』。

1.医療過誤防止事始:1991年ハーバード大学のルシアン・リープ教授の発表によると、医療事故の発生頻度は3万症例中の1133件(3.7%)であり、そのうち医療側の過誤による医療事故は280件(0.9%)であり、アメリカでは入院患者100人のうち4人が医療事故に遭い、4人のうち1人は医療側の過誤によるそうです。この結果を全米に敷衍すると、年間350万の入院患者が医療事故に会い、このうち10万人が死亡していることになるそうです。これは全米の交通事故死(45000件)の2倍以上に達するという驚愕すべき数字になります。つまり医療事故は例外的な事象でなく、ある確率で必ず起こる避けがたいヒューマン・エラーであり、この確率を可能な限り低減するために、県歯としてもさらにリスクマネージメント手法の導入・実践を強化していく必要性を感じています。過去の歯科医療事故例を網羅的に分析・研究し、日常診療の中に潜む罠に陥らないような再発防止教育に努めるとともに、関係者への適正な情報開示と実効のある再発防止策を会員に提示することにより、歯科医療への不信の芽を摘む必要性を痛感します。死亡事故などの深刻なレベルでなくても、なにげない診療の中に、多くの不信の種が紛れ込んでいます。患者さんの主訴の不完全な把握、治療方針や治療費のインフォームド・コンセントの不備、ファイルの破折や穿孔、火傷や衣服の汚染、院内交叉感染、陳旧性の根尖病変の急性発作、薬疹や下痢、抜歯の失敗やドライソケット、切削時やバンド試適時の外傷、神経損傷、テンポラリイクラウンの脱落、印象・バイトの失敗、インプラント手術の失敗、矯正治療の失敗、不完全な補綴治療等々、これらは単に経済的損害を生じるだけでなく、患者とその家族、およびスタッフに様々なダメージを与え、病院の信頼も損なわれるなどの深刻な損失を生じます。医療に携わる以上、一生これらのリスクから逃れるわけにはいきません。私たちの目指す良質な歯科医療は、これらのリスクマネージメントを完全に行なうことが前提となっています。

2. DRG/PPS導入が米国医療に与えたインパクト:1983年DRG/PPS(Diagnosis-related groups/Prospective Payment System、診断群別定額支払い制)が米国の政府管掌老人医療保険メディケアに導入されました。DRG/PPSはマネジドケアの中心的な手法です。もともと診断名は国際的な基準(ICD-9)によれば10000以上に分類されていました。これを医療資源の必要度から、統計上意味のある500程度の診断名グループに整理し、それを分類したものがDRGの基礎になるICD-10であり、これは世界保健機構(WHO)が1990年に定めた国際疾病分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems) のことです。一方PPSは、「包括払い方式」で、実際にかかった額とは無関係に、一定の診断名に対してのひとまとまりの医療行為に定額の診療費が支払われます。つまり500種類の診断名のどれかに当てはめさえすれば、「適正な」クリティカルパスをコンピューターが選定し、支払いが決まる仕組みです。保険者は高額な医療行為について、支払いを行うかどうかを決定しますが、医師の選択した治療方針を禁止するわけではありません。ただ用意されたクリティカルパスに該当しなければ支払わないだけなのです。それ以上の治療を行う場合は、患者さんか医療機関が負担し、支払い拒否による治療結果に責任を持つのは医療サービス供給者(つまり医者)だけという仕組みになっています。これが一人一人の人間を対象とした医療の現場において、いかに理不尽なシステムであるか、医療経験のある者の多くは疑問を感じるでしょう。生活習慣や生活暦により、複雑に修飾される疾病の実態を考慮せず、一度もその患者に触れもしないマニュアル作成者が治療方針の是非を判断していくのです。それなら医師など必要ないじゃないかという思いを感じる方もいるのではないでしょうか。さらに『米国政府は医療警察PRO(Peer Review Organization)を設立し、PROに雇われた看護婦・医師が特定疾患の入院必要性を事前審査し、適切な医療が行われたかどうか退院患者のカルテの抜き取り調査を行い、「不必要な入院」「不必要な医療」についてメディケアの支払いを拒否、悪質な医師をメディケアから排除する仕組み』になっています。5〜6年前にピア・レビューという聞きなれない言葉が突然導入された背景はこんなところにあったのですね。このような動きはすべて支払い側の『医師の裁量にまかせると、無駄な医療を繰り返す』という不信から生まれています。どう足掻いても管理医療の動きは止まらないので、我々の側で適切なクリニカルパスを作成・運用し、与えられた条件内で採算がとれるように企業努力していくしかありません。医療と医療費の問題は本質的に構造的な問題です。病者は重篤になれば生産手段から切り離されていますから、もともと国家財政安定に寄与しません。私たち医療従事者は本能的に患者さんの生命を守ろうとし、QOLの改善を図ろうとしますが、財務省の立場から見れば、医療を受けた国民が生産性を取り戻すかどうかが問題になるわけです。第一線から退いた老人に医療資源をつぎ込んでも、得るものはないといったところでしょうか。不要になったら医療費を費やすことなくポックリ退場して欲しいというのが支払い側の本音と思われます。

3.マネジドケアの失敗:『「医療コストを抑制しつつ良質な医療を提供する」ことを歌い文句に登場し、全米に普及したマネジドケアであるが、今、米国民のマネジドケアに対する失望と不満はこれ以上ないというほど高まっている。』『保険会社はコスト抑制のためには患者を「廃車処分」にすることもいとわない。』脳に重大な障害を持つ乳児の在宅ケア給付を打ち切るなど、医療への市場原理の導入には、もともと医療の本質と相容れない方法論が含まれています。重大な先天性疾患を持つ患者さんの治療必要性などは、市場原理化された医療観からは認めがたいものなのです。弱者を含めた社会全体の幸福を追求する姿勢と生き残りをかけてあらゆる手段を駆使して闘争する資本の論理とは原理的に並立しません。市場原理にまかせて医療費抑制を図るなら、事前に国民にその弊害も明確に説明した上で選択する機会を与えるのがフェアなやり方ではないでしょうか。

『米国でマネジドケアへの悪評・反感が強まっている事実は、世界諸国にも広く知れ渡るようになり、「マネジドケア」という言葉を使うと消費者の反感を買いかねないとの理由から、その手法を採用しても「マネジドケア」という呼称は使いたくないという国が増えている。』『エビデンスに基づく「診療ガイドライン」を作成し、医師にこれを遵守することを強制することで、「いつでもどこでも、誰でもEBMが実践できるようになる」という主張は、一見説得力があり、マネジドケアを支持する人々がしばしば声高に唱えるところである。しかし、「診療ガイドラインの遵守=EBM」という主張はEBMに対する曲解に基づくものであり、マネジドケアを支持する人々がEBMを詐称する傾向は世界共通のようである。そもそもEBMの定義とは「最善の外的エビデンスを個々の患者に適用すること」というものであり、EBMは個々の患者の問題点から出発し適用可能な証拠を探すという下から(ボトムアップ)のアプローチであり、上から(トップダウン)のガイドラインを闇雲に患者に適用するというマネジドケアの手法とは正反対のものである。‥‥EBMの提唱者であるデイビッド・サケットも‥‥EBMはガイドラインの押しつけ医療とは正反対のものであることを明言している。』『米国でマネジドケアに対する怒りが高まっているのは、インフォームド・コンセントという現代医療の根幹に関わる原則を、マネジドケアが無視していることが根本原因になっている。マネジドケアとインフォームド・コンセントとが相容れないものであることを示す典型が、マネジドケアの生命線とも言える利用審査(utilization review)である。利用審査とは、個々の医療サービスの適切性を保険者が審査するというものであるが、「不必要・不適切な医療を防ぐため」という建前とは裏腹に、現実には「医療コストを抑制する」目的で運用されている。』

4.マネジドケアと米国薬剤マーケット:高価格医薬品排除と利用制限、キャピテーション(人頭割り)と処方の関係、代替医療の台頭などについて解説。

5.米国医療周辺事情:ドライブスルー出産、マイナスのプラセボ効果等を解説。

6. 患者アボドケイド:アドボカシー(advocacyある人の味方になってその権利や利益を守るために闘うこと)、患者アドボケイトシステムについて解説しています。

本書を読めば、厚労省やマスコミが積極的に開示しない、「市場原理化された医療」の持つ負の部分が理解できます。日本という国が沈没しようとしている今、「背に腹はかえられない」ために、まず手をつけやすい社会保障費の削減に狂奔するのはある程度理解できますが、医療サービス供給者だけを悪者にする従来の論法をいい加減に見直し、国民にデメリットも含めた情報開示を行い、日本の未来を選択する機会を与えるのがあたりまえの手順だと思いますが、皆様はどうお考えでしょうか。












市場原理に揺れるアメリカの医療
著者:李 啓充
発行:医学書院
定価:\2,200
ISBN4-260-13846-4 C3047

著者は1980年に京都大学医学部を卒業後、天理よろず相談所病院、京都大学大学院医学研究科、マサチューセッツ総合病院を経た後に、現在ハーバード大学医学部助教授。1996年より米国医療に関する執筆活動を行っています。専門は癌と骨の代謝の研究。 医療に市場原理を持ち込めと識者と厚労省は主張しますが、実際に市場原理に支配されたアメリカ医療の現場では何が起きているかを本書は通して知ることができるだけでなく、医療事故の発生構造や医療そのものについて考えさせられる記述が多々あります。

『医療にはテクニカル・ケア(技術的ケアtechnical care)とインターパーソナル・ケア(親身なケアinterpersonal care)があり、患者はテクニカル・ケアを客観的に判定できないが、インターパーソナル・ケアを判定することには長けている。』『自分から積極的に治療方針決定に参加する患者の予後は、受身型の患者の予後より優れているが、医療に対する満足度は受身型患者より低い。彼らは、よくなっているにもかかわらず感謝しない。』 読後、アメリカン・スタンダードに追従することだけが、日本の医療改革なのか、重大な岐路に立っている将来の日本の姿の選択に際し、公平で十分な国民への情報開示が行政により行われているのか、偏った情報操作が繰り返されているのではないか、またマスメディアは広い視野から独自の取材哲学の下に、社会の公器としての役目を果たしているのか、強い疑問を感じました。