■ 過去のちょっといい本
「神戸から長野へ」 新憂国呆談
著者:浅田彰/田中康夫
発行:小学館
定価:本体1500円+消費税 ISBN-09-379274-7C009 5
『構造と力』『逃走論』の浅田彰氏と田中康夫長野県知事の対談集。本書を読めば、長野県民が選んだ田中康夫氏の実体の一部に触れることができます。少なくとも政治、経済から風俗までを網羅する現代雑学事典としての価値は充分にあります。善悪は別として、田中康夫氏がマスメディアという名の、市井の一般市民から見たら、魑魅魍魎の棲息するバミューダ海域のような世界を、巧みに遊泳しているジュゴンのような生物であることが良く判ります。なんか体型も似てますよね。










「凝縮社会をどう生きるか」
著者:古田隆彦
発行:NHKBOOKS
定価:定価920円 ISBN4-14-001836-4 C1333
二度と来ないバブルより、停滞経済の枠内で考える。成長・拡大型社会はすでに終焉した。景気回復は当分ありえない。意識変革により現在の枠組みの中で、ゆとりある暮らしを考える方途が求められているのだ。本書は、人口波動を指標とした未来予測により、生活者の視点から、近未来社会を見通す意欲的な試み。(表紙より)
21世紀の日本を覆う逃れようのない閉塞感の根本的原因は人口容量の限界に、日本社会が達したからと、著者は説明します。2004年から日本の人口は減少に転じ、2100年には5100万人に減ると国立社会保障・人口問題研究所は予想します。人口停滞、高齢化に従って、産業の国際競争力の低下、経済の破綻、財政悪化などの停滞現象が目立つようになりますが、それを克服する対策として、生活環境や社会福祉面では、むしろ、きめ細かな社会保障や、充実した出産・育児・教育・家族政策などがより必要になります。高齢化も75歳まで、現役として働けるサポートや職域を拡大することにより、高齢者比率は影響なくなります。教育・環境投資を拡大し、高能力層を拡大し、産業開発力を更新して、高不可価値産業を開発しなければなりません。いまだ人口増加率が1%代である「若い国」であるアメリカの行なう政策を、ただ無批判に「中高年国家」である日本が模倣してもうまく機能しません。むしろ省資源、省エネルギー、低環境負荷型社会に転換し、低い経済成長率の制約の中でも、ゆとりと生きがいを見出すライフスタイルを生み出すべきだと著者は主張します。このような成熟した社会を「凝縮社会」と名づけていますが、身の丈に合った幸福の追求が大切だということでしょう。21世紀を生きぬくために必読の書と思われます。










「日本の医療を問いなおす」---医師からの提言---
著者:鈴木厚
発行:ちくま書房
定価:660円 ISBN4-480-05775-7 C0247
著者は川崎市立川崎病院内科医長で専門はリウマチ、膠原病。 良心的な病院は赤字経営で苦しみ、サービスの低下を余儀なくされています。また看護婦をはじめとした医療関係者は過酷な労働環境の中で重労働を強いられています。その一方、製薬会社などの医療周辺産業は大好況で笑いが止まらない状況にあります。これが厚生行政が招いた日本の医療の実像なのです。−−−日本の医療制度は医療ビックバンを目前にひかえ、大きな変革の渦中にある。だが、改革は本当に国民と医師が望む方向に進んでいるのだろうか?(表紙より)

(要旨)「国民の健康より製薬会社の利益を優先させる厚生省(厚生労働省)の体質」、日本の医療構造のすべては、厚生官僚のつくった政策により支配されている。厚生省は医療情報を操り、医療費増大という不安を国民に煽り、医療費増大の責任を病院に転化させている。また官僚の天下り先である製薬会社などの利益を優先させる政策が、さらには国民に負担を強いる政策が、日本国民全体の不幸を招こうとしている。マスコミが医療問題に行なってきた手法は、自らの不勉強を省みず、医療の本質的な問題を医師の悪口にすりかえ、国民の不満を恣意的に医療機関に向けさせ、医療問題の本質を故意にはぐらかすものだ。諸外国に比較したとき、日本の医療費は異常に低いレベルに抑えられている事実を国民は知らされていない。日本の医療費は国民総所得の約7.1%で、アメリカの半分、ヨーロッパの7割のレベルにすぎません。これは厚生省によるイメージの捏造である。また患者が院外薬局で払う薬代は、院内で支払う薬代に比較して2倍近く高いことを国民は知らされていない。国家財政の都合により、医療費がさらに抑制されれば、またマスコミによって医師と患者とのギスギスした関係がさらに強まれば、まちがいなく日本の医療は崩壊する。日本の医療に必要なことは平等と自由のバランスを考慮しながら、もう少し自由のきく医療を行なうことだ。国の支出の19%が社会保障費だが、社会保障費14兆7000億円の約40%である6.5兆円が医療関係予算であり、国民健康保険や老人保険の穴埋めに使われている。収入、支出の22%が国債費が占めている。現在、日本が陥っている借金財政が医療費抑制の最大の動機になっている。医療費の57%が保険料、12%が患者自己負担で賄われ、残り32%は、国庫から24%、地方から7%の補助を受けている。
この医療費の三分の一を国から補助してもらっているために、財政改革を目標とする大蔵省(財務省)が、予算からの医療費の支出を出し渋っていることが医療費抑制の政策の本質になっている。国の財政が国民の健康より優先されている。厚生省の医療費予測の資料は、情報操作が行なわれる結果、現実からかけ離れた数字になっている。医療は他の産業と違い、支出の中で人件費が占める割合が非常に大きい分野である。人件費を抑えれば患者へのサービスが低下する。経営能力のない医師が病院を経営するから赤字になるという、経済からの批判は、病院の特殊性を理解できない者の発現であり、営利を目的とする経営感覚を病院に持ち込めば、病院の収益に比例してモラルは低下する。国民の求める医療サービスは、現在の医療システムでは不可能に近い。インフォームド・コンセントなどの患者の満足は、医師と患者の接することのできる時間の長さに比例する。医療従事者の献身的な犠牲の上に現在の医療が成り立っていることが理解されていない。医療費の大部分は病院を素通りして、製薬会社、医療機器会社、検査会社へ流れていく。日本の医療が理解しにくいのは、保険医療制度が複雑過ぎるからだ。行政側は意に染まない医療機関を行政指導で締め上げてくる。最も規制の厳しい医療において規制緩和の声がまったく聞こえてこないのは、医療側が規制の鎖で何重にも縛られ、声も出ないほどに規制されているからだ。以下略。(本文抜粋)










今月は、現代の日本の政治、経済状況を理解するヒントになるベロックの訳本と、読んでおもしろい思考実験の書「ザ ケンブリッジ クインテット」を紹介します。
「奴隷の国家」
著者:ヒレア・ブロック/Hilaire Belloc,Servile State
訳・解説:関曠野
発行:太田出版
定価:2000円(+消費税)ISBN4-87233-544-9 C0098
第1章 基本定義 大半の家族や個人が、少数の家族や個人を利するために働くことを実定法により強制されている社会体制を奴隷国家と呼ぶ。自由な人間は労働を拒むことができるが、奴隷には意に染まぬ労働を拒む力も手段もない。ただ、奴隷を保護する社会システムにその生活を左右され、生存の安全を保障されている。たとえ人間が一部の時間に働くことを強制されるだけで、その他の時間には自由に取引したり富をためることができたとしても、奴隷国家は確実に存在する。この場合、彼は相対的な(リガーダント)奴隷である。たんなる生存かそれより少しましなものだけが奴隷に保証されるということが奴隷制の本質をなしている。
第2章 ヨーロッパ文明はもともと奴隷制であった。奴隷を生んだのは貧困であった。ヨーロッパ人が信仰と呼ばれる重要な道徳上の実験に着手する前までは、何千年にもわたって奴隷制はまさにヨーロッパの本性を為していたのであり、今日多くの人はこの実験は完了して放棄されたと思っているが、信仰が衰退するとき、古く基本的な奴隷制度が必然的に復活してくる。
第3章 奴隷制度の一時的な消滅。教会のいかなる教義も奴隷制を非難することはなかった。しかしローマ社会における教会の発展に伴い、また交通網や公権力が崩壊した8世紀~10世紀に移るに従い、一定の慣習で定まった分以上を領主は奴隷に要求しないようになった。11世紀に暗黒の時代から真の中世に移行し始めると、奴隷を意味したservusセレウスという言葉に奴隷本来の意味は失われた。11世紀と12世紀初頭、十字軍とノルマン征服の初期中世時代の農奴は、すでに農民に近い。中世社会のあらゆる動きは、人々が資本と土地を所有することで経済的に自由であるような国家の確立に向けられていた。しかしやがて起きた産業革命を契機とし、恐ろしい道徳的無秩序がとって替わり、それは資本主義と呼ばれた。その原因は、資本主義そのものではなく、少数者の邪悪な意志と多数者の無気力にある。
第4章 分配型国家の挫折。19世紀イングランドでは、生産手段は少数のグループの占有するところのものになり、大多数は基本的経済的自由を失った。
第5章 資本主義国家は完成に近づくにつれ不安定になり、市民の精神的緊張は増す。この緊張は、資本主義社会の現実と我々の法と伝統の道徳的基盤との間の矛盾から生ずる。資本主義国家は二つの永続的で安定した社会状態の間の過渡的な状態に過ぎない。
第6章 資本主義は、その不安定性から別の体制に向かおうとしている。その選択肢は3つしかない。すなわち奴隷制、社会主義、財産制度の改変である。所有権のオプションとしては、第一に社会主義または集産主義があり、第二に所有者制または分配型国家がある。すべての社会主義的改革は当初から必然的にその本来の進路から外れており、財産の再分配を伴う分配型国家は実際的でないとして斥けられる。
第7章 集産主義を試みる行為の結果生まれてくるのは全然集産主義ではなく、多数者の隷属状態と少数者における現在の特権の確立即ち奴隷の国家である。
第8章 改革派も改革される者も等しく奴隷の国家に向かう。
第9章 法律や社会統制により、社会の資本家への隷属が深まりつづけている。
結論   16世紀にキリスト教文明の連続性を捨て去った諸社会は、現在のところ奴隷身分の再建に向かって進んでいる。今やはっきりと失敗した理論的社会主義が現実の生ける社会を創り出す可能性はない。信仰はその内奥の導き手としての地位をヨーロッパ人の心の中に取り戻すと期待している。
訳者解説  これはマルクス主義の本ではない。ベロックはキリスト教的ヨーロッパが千年以上にわたって築き上げてきた法とモラルの伝統を擁護する立場から資本主義を批判する。すべての人間が実際に法的政治的に権利を保障された自由な市民でありながら、他方で生産手段に関して、少数の所有者と大多数の非所有者に社会が分裂していることに現代社会の根本的な矛盾があり、この矛盾が資本主義を不安定にする。現実にそぐわない理念を国法の原理とする社会は安定した健全な社会ではありえない。近代社会の核心には「自由から支配が生ずる」というパラドックスが存在する。大量失業や極端な景気循環といった経済現象として現れてくるものは、近代社会における法の死であり、倫理的混乱なのである。資本主義の不安定性は、資本家自身にも耐えがたいものなので、奴隷国家が出現する。奴隷国家は資本主義を延命させるのと引き換えに、自由を原理とする近代法の精神を最終的に破壊する。ベロックの立場は反資本主義的自由主義である。彼の論拠は「人間は法によってこそ自由になる。」というロック的自由主義である。自由主義は資本主義により戯画化される中で、奴隷の国家の中で自滅する道を選んだ。ベロックの究極の立場は、自由な人間は自らが公言した理想に忠実に生きるべきだという思想に他ならない。そうした理想は文明の最良の遺産と伝統を継承しなければならない。民営化や規制緩和という新自由主義の政策は、資本主義の不安定性を増大させる。この不安定性は未知のギャンブル的なビジネス・チャンスを作り出す。ポスト冷戦の世界の焦点は、人間にとって自由とは何かという問題である。










「ケンブリッジ・クインテット」
著者:ジョン・L・キャスティ/The Cambridge Quintet John L. Cast
訳:藤原正彦・美子
発行:新潮出版
定価:1900円(+消費税)ISBN4-10-590005-6 CO397
1997年、世界チェスチャンピオンのカスパロフは、コンピューターチェスのプログラム、ディープブルーUと対戦し、一勝ニ敗三引き分けで敗北しました。その結果分かったことはコンピューターと人間とは、まったくチェスのやり方が異なるということでした。カスパロフは、コンピューターの指し手に異星人の知性を感じたと述べたそうです。つまり彼はプログラムに一種の人間的な知性を感じたのです。本書では、架空のディナーを想定し、ゲストとして、偉大な5人の知性、つまり人工知能理論の創始者であるアラン・チューリング、今世紀最大の哲学者の一人であるビトゲンシュタイン、量子力学と分子生物学の草分けであるシュレーディンガー、遺伝学者のマルキストであるホールデンを招き、物理学者、小説家であるC.P.スノウがホスト役を務めて、「人工知能が人間と同じような知性を持てるか?」という問題について、激論を交わします。ビトゲンシュタインは、社会経験が不可欠な共通のルールで行なわれる言語ゲーム に参加して、初めて言葉は意味を持つと言い、言語のないところに思考 などありえないと主張します。これに対しチューリングは、概念は特定のニューロンの『入』『切』のパターンにより脳内にコード化されていて、記憶にある様々のパターンを相互作用させて、複雑な『思考』を生み出すと説明します。機械が考えることができるかという命題は人間とは何かという問いと同じことだと思われます。 やはり、人間とコンピューターの違いは、行動する動機があるかどうかという点にあり、機械が意識を持つためには、精神の核心になる部分、つまりアイデンティティイと呼ばれる、自らの意識の連続性に対する確信を持てることが必要条件ではないでしょうか?これは学習に基づくプログラムの進化と改善を行なう際に、自己保存のプログラムのある領域を、基本的に保護するようなシステムを組むことにより可能だと予測できます。

  1. 自分だけの私的な言語は存在しない、言語は社会的慣習の産物である。
  2. ピアジェは、人間の心は、単に外界からの情報を受動的に受けて処理するだけではなくて、外界との積極的な相互作用を通して心の中に現実世界を構成していく、と主張する。