■ 今月のちょっといい本
「スウェーデン人はいま幸せか」
著者:ストックホルム大学研究員 訓覇法子 Noriko Kurube
発行:NHKBOOKS[621]
定価:825円+消費税 ISBN4- 14-001621-3 C1330
筆者は、15年前に大使夫妻の私設秘書としてスウェーデンに渡り、社会福祉の研究を行なう目的で、独力で同国に生活の基盤を築き、ストックホルム大学で研究を続けています。ある国の民族性や政治機構は地政学的な理由から、成立していく側面があると思われますが、スウェーデンの場合、北極圏に一部が属する厳しい自然環境のため、合理的な方法で、効率的に、公正に政策を決定し、助け合わなければ生き残れなかったという面があると思われます。筆者はスウェーデン人のイメージとして、
  1. 争いや対立を避けようとする意識が高く、理想として同じ考え方や意見でまとまれるよう、話し合いを通してできるかぎりの努力をする。
  2. 芸術化タイプというより,自然科学的思考。合理的。プラクティカル。
  3. 不法・不正に対して妥協せず、高度の遵法精神を持つ人道主義である。
と述べています。

『スウェーデンの社会保障の特徴は、イギリスなどの社会保障が貧窮者を対象としているのに対し、スウェーデンのそれは労働者階級のみならず、中産者階級を含めた国民全部を包括する社会保険を中心に、基本的経済保障を行なっている点である。』『福祉国家の目的は、大きな変革と社会的不穏から社会を守り保持することで、福祉国家社会の連帯の目的とするところは一人一人が各々の価値を持ち、人間の福祉を守るための共同義務を遂行すること。』『ニューリベラリズムの支配する国々―イギリス、アメリカそしてある意味ではカナダを含めて、多くの国々が福祉国家社会の目的を放棄してしまった。』『10%の失業を認めるということは、社会の共同体から大きなグループを締め出すことを意味する。』『イギリスそしてアメリカでは、大量の貧困がぶり返しつつある。アメリカでは、2000万人の人々が飢餓と貧困に陥っている。』『ニューリベラリストの課税引き下げの言い分は、金持ちが労働意欲を高めるために、より豊かになる必要があること、また公的扶助の切り下げについては、貧乏人はさらに貧しくなると、もっと働くようになるというところにある。』『福祉国家スウェーデンの努力がグローバルな資本の論理の前に屈服せざるをえなかった。しかし、スウェーデン人は、すべての国民にとって、より平等な社会をめざすためのたゆみない努力を、忍耐強く続けていく。』示唆に富む内容であるとともに筆者のパワーを感じさせます。国家がその国民を幸せにすることを考えているのか、それとも国民を支配することを最優先しているのか、原点に返って省みる義務が、有権者には常にあると思います。










「なぜ美人ばかりが得をするのか」
著者:ナンシー・エトコフ 木村博江訳
発行:草思社
定価:1900円 ISBN4-7942-1019-1 COO11
『人々は美の名のもとに極端なことにも走る。美しさのためなら投資を惜しまず、危険をものともしない。まるで命がかかっているようだ。』だから審美歯科が成立するわけですね。もっとも審美には、機能が含まれるわけですが。『若く完璧な肉体のイメージは私達の心にこびりつき、それを自分のものにしたいと欲望が頭をもたげるだろう。例外はひとりもいない。』身につまされます。老醜に馴染むには、苦痛が必要とされ、諦念をもって、それを受け入れる時に、人生は別の意味を持ち始め、終末への密かなカウントダウンが始まります。『エドワード・アングルは、1907年に矯正歯科の古典をつくりあげ、自分(ヨーロッパ人)の顔を基準に使った。それではアジア人やアフリカ人は全員歯を矯正する必要がある、ということになりそうだ。』勉強になります。実は、ある民族の理想的な顔貌について語る時、本当はその民族の骨格と軟組織についての、正確な科学的データが必要な筈ですけれども、日本人のポリゴン表に使っている母集団の大きさは、せいぜい百人くらいのレベルにすぎないのです。その年齢階層や出身地域も補正は不充分で、現代日本人を代表するものとは言えないものです。矯正治療をやるなら、あたりまえの基礎データとして、日本人の科学的な体型データが用意されて当然なのに、意外や、そのような基礎的な調査、研究が盲点になっています。本書は、題名から推察されるコンセプトは、キワモノですが、なかなか哲学的、科学的に美人というものについて、考察しています。身近の美人に縁のない人も、ある人も、後学のためにお読みになれば、意外と現代を解き明かす鍵が隠されています。










「ナショナル・ヒストリーを超えて」
著者:小森陽一/高橋哲哉〔編〕
発行:講談社+α新書
定価:2300円 ISBN4-13-003313-1 C1000
50年ごとに歴史は後戻りすると言われています。50年程経過すると、ある時代の主役だった世代が歴史の表舞台から退き、残った人々は過去の歴史の汚辱と過ちを忘れることにするから、というのがその理由です。今『新しい歴史教科書をつくる会』は、戦後歴史教育を自虐史観と位置付け、独自見解の教科書の執筆を行い、検定を通過させましたが、ここに歴史学の持つ本来的な脆弱性があります。つまり歴史学は科学としては、不完全で、その再現性と客観性において、宿命的な構造的欠陥を持っています。歴史はある時系列における物理量の変化の公正な記録ではなく、その時系列中に集積された情念の記述にすぎません。しかも人は、自分の求める顔形をした歴史のみを容認します。同時刻における、同じ事象に遭遇しても、象を撫でる群盲の如く、例えば加害者と被害者では、まったく異なる情念と記憶を形成し、後年、正史となるのは勝利者の主張とエキスキューズだけであり、敗者の記憶は、歴史の闇の中に埋没していきます。人類の文明が興亡を繰り返す影には、過去の歴史から未来への智恵を学び取るということが、いかに困難なことなのかを良く表しているといえるでしょう。どんなに科学技術が進歩しても、人が自らのアイデンティティーを脅かす、汚辱にまみれた歴史的事実を正視してまで、より賢明な未来を築くための智恵を導き出すことが、容易にはできないことを、私達は改めて証明しています。